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「東洋のマチュピチュ」でも悪かないけどさ
このブログの前身のそのまた前身である、tellと作ったHP「halfmoon」の中で、ブログというよりは交換日記のような(いや、それは語弊があるな)ものを書いていたのだけれど、その記念すべき一回目の投稿(2004.3.28)で、初回に相応しいメデタイ記事に、新郎として登場してくれた友人K。今日は朝から高速に乗って、彼が住む新居浜市へ。あれからちょうど5年。なかなか子宝に恵まれず、辛かった時期もあったようだが、今月彼もついに母親に…じゃなくて父親になった。桃の節句に産まれたyuugaくん、早速抱っこさせてもらいました(因みに抱っこしてる画像はKです。ヒゲ青いね)。tell家のann姫が赤子だったときに比べ、髪の毛ふっさふさ。やっぱ赤ん坊はかわいいなぁ。いかに腹黒さんでも、赤子を抱いているときだけは、聖者の気分。今度会うときは、もうおしゃべりできるようになっているかな。
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出産からまだ20日足らず。奥さんもまだしんどそうだったので早々に退散。「東洋のマチュピチュ」、「四国のインカ帝国」と称されて、最近話題となっている別子銅山跡へ。1691年から1973年まで約280年の間に、650万トンという世界一の産出量を誇った別子銅山。最盛期には3700人がここで生活し、一つの大きな集落を形成していた。長屋のような社宅に住み、一学年100人規模の大きな小中学校、病院もあれば歌舞伎一座がやってくる娯楽場まであった。もちろん採鉱施設では、当時における最先端の技術が駆使されていた。
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標高750メートルにあるこの産業遺跡、一昨年の「行き当たりばっ旅山陰篇」で訪れた島根の石見銀山に続いて世界遺産登録を狙っているようだが、実際遜色はないと思うし、もう少し工夫すれば、後世まで大切に残すべき、価値ある遺跡と認められるはず。そのためにはまず、「東洋のマチュピチュ」だなんて俗っぽい売り出し方はやめて、シンプルかつメッセージ性の高い「森になった町」という別称に戻すべきだ。
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一企業で約300年、この銅山の採鉱を手掛けた住友グループ。資源が枯渇し、施設の危険性も高まった上に、銅の価値が下がって撤退を余儀なくされた昭和48年。彼らはこの町をただ廃棄するのではなく、植林して森へ、自然へと返すことにした。この精神にこそ、後世に受け継がれるべき、素晴らしいメッセージが含まれており、この遺跡を残す価値に繋がるのではないか。閉山後たかだか40年でも、森は確実に甦りつつあった。山間から眼下に臨む瀬戸内沿岸には、今も住友関連の工場群が立ち並ぶ。自然から受けた恩恵を、自然に返す企業。その企業の発展を天空から見守る産業遺跡、別子銅山跡。世界に誇っていいと思う。
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(非公開コメント受付中)

to 天然保湿
でしょ。
でもマチュピチュの方がインパクトはあるよね。

社宅や病院、学校も残しておけばいいのになんて思ってたけど、それが森に返すためだと知って納得、というより感動でした。
No title
「森になった町」素敵なネーミングですね。マチュピチュなんかと言うから、よそから来た人は過剰期待するんです。

 社宅とか学校などは、森に返すため取り壊したんでしょうね。
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