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平遥へ
朝、母が出かける準備をしている間、日本語通訳の手配をコンシェルジュに依頼。地理に疎く、言葉も全く通じなくては、お話にならない。tellと行く「ばっ旅」のように、ハプニングこそ旅の醍醐味という趣向ではなく、限られた時間を母のために最も有効に使う必要があるのだ。しかも300元で通訳兼現地ガイドが一日付くなら雇わない手はない。食事をするにも切符を買うにも苦労する国なのだ。

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太原駅から平遥に向かう列車の発車時刻まで時間があったので、太原の観光名所「双塔寺」を訪れようかと思ったが、距離が遠い上に確実に渋滞に巻き込まれてしまうだろうということで、ガイドの温さんが推奨する「崇善寺」へ向かう。
双塔寺にはいないらしいお坊さんに出迎えられ、「大悲殿」という社殿の中に入ると、8メートルもあるという見事な千手観音像が。しかもどこぞの像と違い、本当に千本の手があるらしく、その迫力たるやまさに圧巻。左右には文殊菩薩と普賢菩薩を従え、威厳もたっぷり。

駅前も黒土巷にも昔の面影は見当たらず、母と同世代の住民に話を聞くことも叶わずで、想像はしていたことだけど肩を落とす母を見るのは切ない。なんて思っていたら、ガイドの温さんが非常に勉強家で、日本語も流暢だけど、中国と日本の歴史についてとても精通していることが分かった。そもそも中国と日本の国交は歴史が深く、その過去を紐解くには生半可な努力ではできない。なのに彼は日本人である自分たちよりも日本史に詳しく、一度開口すれば立て板に水の如く朗々たる講釈が始まる。太原という地を訪れる日本人観光客の多くは、母と同じように幼い頃の思い出を辿りに来る高齢者たちで、彼らが最も欲する知識についても、温さんは当然習得していた。そしてそのことを知った母のテンションは、一気に上がった。

母が太原の小学校に通っていたことを知ると、温さんは「富士小学校?それとも大和小学校?」と尋ねた。もうその質問をされただけでキラキラと表情を輝かせた母が「富士小学校です!」と答えると、校舎はないが校門が残っており、崇善寺からすぐ近くだからと早速案内してくれた。足の悪い母が速歩の温さんに着いていくのは相当キツかったと思うが、嬉しさと流行る気持ちがそんな事実を忘れさせているようだった。校門の前に立ち、涙ぐむ母の顔を見て、奇跡的な縁で巡り合えた温さんに感謝感謝。

駅前までタクシーに乗り、駅舎に向かって交差点を渡ろうとしたときのこと。
他の街でもそうなのか知らないが、駅前の交差点は、混雑というより寧ろ混沌としている。ドライバーに交通マナーが皆無なら、歩行者に自動車に対する恐怖心もない。横断歩道もろくになければ、信号も機能しているとは言い難く、その結果無法地帯と化している。よくもまぁこれで事故が起きないことだと驚きを通り越して呆れながらその様子をデジカメに撮り、ベルトループに掛けたケースに入れて交差点を渡る。一瞬の車の切れ目を、タイミングを見逃さずに渡らなければ、この交差点は一生渡れない。

渡ってホッと一息。デジカメケースのファスナーをしっかり閉めておかなければと思って手を遣った瞬間、顔が蒼褪めた。そこにあるべき物はなく、まずは自分の行動を疑ってポケットや鞄の中を探ってみるが、やっぱりデジカメは見当たらない。振り返ると、周りの中国人の顔がみんな犯罪者に見えた。足元を見まわしてみても、渡る前の場所に戻ってみても、当然見つかるはずもなく。一瞬の油断が招いた事件に、ガックリと肩を落とす。デジカメはいい。でも今まで中国で撮った母の画像だけは返してほしい。そんなことを誰に訴えられるわけもなく、自らの迂闊さを呪うばかり。

だから、この先もこれまでの記事に使用した画像も全てiphoneで撮ったもの(崇善寺の画像はどこぞのサイトから拝借)。あー、悔しいったらありゃしない。
ということで、これからは画像満載でお送りします。

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太原駅構内。何故か電光掲示板だけは立派。でも非常に分かりづらい。温さんがいてくれなければ、どこ行きの列車に何番ホームから乗ればいいのか分からず不安で仕方なかったはず。

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だだっ広い待合所の中に人だかり。何だろうと思い近寄って覗き込むと、床に広げたシートの上で、将棋のようなチェスのようなゲームに興じている。遊び方を知りたいが、まずゲームの名前が分からない。検索ワードとしては、「チェス」「将棋」「中国」とかかなぁ。

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平遥に到着。長い長い車両の列車に揺られて1時間半。通常平遥を訪れる観光客は、太原でガイドを手配してタクシーで向かうらしく、ベテランガイドの温さんでさえ列車で行くのは初めてだったらしい。でも同じ車窓でもタクシーと列車では全く雰囲気が違うし、疲れたら横になれる寝台車は結構快適で、おまけに時間もお金も節約になる。自分たちだけでは心細いが、ガイドさんのチケット代を負担したって全然お得。

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駅前で4人乗りの荷台をつけたバイクを拾い、平遥の古城まで。道案内だけでなく、値段交渉までしてくれる温さんはとっても頼りになる。
明朝時代の古城は、平遥の他にも成都など数箇所に現存しており、より広大で豪華なものもあるらしいのだが、世界遺産に指定されているのはこの平遥の古城だけ。景観を損ねる工場などを極力廃し、改築するにも厳しい基準があるらしい。

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母が見たかったのはこの城壁。昔は太原にも同時代の古城が残っており、この城壁の上を歩いて学校に通ったり、遊びに行ったりしていたのだという。残念ながら太原には僅かに北門が残っているだけで、この景観は臨めない。

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古城内は、基本商店か飲食店になっており、世界各国から訪れる観光客を相手に商売を営んでいる。

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いくら当時の町並みを再現しても、町の住民たちがブランドものの洋服に身を包んでいては台無しだが、ここの人たちは恐らく当時とさほど代わり映えもしておらず、本当にタイムスリップしたような感覚を味わうことができる。

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あのデジカメならなぁ。もっと綺麗に撮れてるはずなのに…。

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できればこの町に一泊して、もっとゆっくり観てまわりたかったが、戻りの列車まで時間がなく土産物を探す時間も食事をする時間もない。唯一、数多立ち並ぶ骨董品屋で、太原駅で見たあの将棋のようなチェスのようなゲームを見つけたので記念に購入。ルールも分からず、対戦できる相手も日本にはいなそうだけど。

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あっという間に時間が過ぎて、駅に向かおうと急かす温さんが捕まえたのが、おじいちゃんの運転する荷台付き自転車。ペダルを逆に漕ぐ不思議な自転車を運転するおじいちゃん、齢のわりに体力あるなとは思ったけど、普通に走った方が速そう…。

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少し高くついても帰りはタクシーを拾う案もあったのだが、結局列車に乗って太原に戻る。車内では疲れていたので少し横になりたかったのだが、日中の歴史について、唾を飛ばしながら熱く語る温さんの話に頑張って相槌を打つ。

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太原に着いたのはもうだいぶうす暗くなってから。昼食を食べる時間もなかったので、温さんオススメの中華「風味大王」へ。

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ずらりと並んだサンプルから選んでオーダーするスタイル。
まずサンプルから美味しそうに見えないんですけど…。

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でも北京ダックや餃子など、無難そうなものはそれなりに美味しかった。

連日仕事で、本来今日は休みのはずだった温さん。彼のおかげで今回の旅が本当に有意義なものになった。母もしきりに「温さんのおかげです」と頭を下げていた。
疲れているはずなのに、食後も母が行ってみたいであろう場所をあちらこちらとタクシーで案内してくれて、もちろんギャラは少し多めに支払ったが、この感謝の気持ちはとてもお金では表現しきれない。

今度は兄弟を連れてきてくださいねと微笑む温さんを家の近くまでタクシーで送り、ホテルに帰ったのは21時頃だったか。明日はもう北京経由で帰国の流れ。想像以上にハードなスケジュールになってしまったな。もう一日くらい余裕をみればよかったかもしれない。
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