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花見のあとに、花のあと
実家から山間を抜けて、今治へ抜ける国道沿いにある玉川湖。湖畔の桜を見に、父がよく連れていってくれたのだと母から聞いていたので、今日はお弁当持参でお花見に。しかし到着してみると、まだまだ二分咲き三分咲き。それもそのはず、車外に出ると寒い寒い。母校のボート部は頑張って練習していたけど、とても弁当を広げる気にはなれず。母の提案で、両親が毎年花見に訪れていたという道後にある「常信寺」へ向かう。
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常信寺なんて、今日まで名前も知らなかったけど、広く立派な境内に、満開の桜が見事に咲き誇っていた。立体的で、奥行きのある境内。桜の種類も多く、非常に見応えがある。しかも、元松山城主に縁のある方のお墓もあるので、飲んでバカ騒ぎをするような花見客はいない。静寂の中に、鳥の囀りだけが聞こえてくる。道後なんて実家からすぐ近所なのに、こんな立派なお寺があったなんて。東京に戻っても、毎年ここの桜は見に帰りたいなぁ。
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花見のあと、中西健二監督の藤沢映画『花のあと』を、母と一緒に。剣豪の主人公が女であるという設定こそ奇抜だが、中身的にはいかにも藤沢作品らしい映画。華奢な北川景子に迫力ある殺陣などできるのだろうかと、そこだけは不安だったのだが、見せ方も上手いのだろうけど、結構サマになっていた。
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ツイッター
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先月に始めたばかり。
しばらく放置していたのだけど、最近ちょこちょこつぶやくようになった。
で、ようやく初歩の初歩的な使い方が分かってきた。

まだ相互フォローしてる人間が少ないので、メールを公開してるだけみたいな感じ。
でも、ブログよりリアルかつオンタイムにその人を想像できる。
遠くにいて、すぐ会えない人のつぶやきを読めるのはちょっと嬉しい。
でも東京にいたら、もっと楽しいだろうな。
実際に会いに行けちゃうんだもんな。
りんごの木
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2歳になる少し前まで、住んでいたのは市営のオンボロアパートだった。
子供2人を育てるには狭すぎるからと、両親は今の町に土地を買い、家を建てた。
庭いじりが好きな父は、庭にたくさんの花や野菜を植え、休みの日には必ず朝早くから庭に出た。

「もし明日、世界が滅びても、私は今日りんごの木を植える」

というマルティン・ルターの言葉が好きだった父は、早速庭にりんごの木を植えた。

愛媛といえば、ミカン。りんごじゃない。
こんな温暖な土地で、りんごなんて。母だってそう思ったはず。
でも、その木はすくすく育ち、やがてたくさんの実をつけた。
たくさんたくさん。一本の木に、500個近い実がなった。
農薬を使いたくないから、父は梯子に登って、その実一個一個に袋を被せた。

たわわになった赤いりんご。
手を伸ばして、枝からもいで、そのままガブリ。
果汁が滴り落ちる。蜜がたっぷりで、ものすごく甘い。

毎年たくさんの美味しい実をつけるりんごの木は、学校でもちょっとした評判になった。
小学4年生の頃に、地元紙の夕刊に写真付きで掲載されたことだってある。
家族にとって、自慢のりんごの木だった。

数年後、隣の空き地に家が建つことになった。
車を停める場所がなくなるので、父は仕方なく庭に車庫を作ることにした。
でも、車庫を作るなんて想定していなかったから、適当なスペースがない。
唯一、りんごの木のすぐ横以外には。
そこに車庫を作るためには、りんごの木の根っこを少し切らなくてはならない。
散々迷ったけれど、結局根っこを切ることにした。
そして父は根っこにノコを入れる。痛かろうのう、すまんのうと詫びながら。

根っこを切ったその年も、りんごの木はたくさんの実をつけた。
根っこが半分しかないのに、これだけたくさんの実は、負担が大き過ぎる。
「半分くらい実を落とした方がいいんじゃないかしら」
と母は言ったが、父は聞かなかった。
やがて次々と赤く色づくりんごの実。父は母の心配症を笑った。
実際、その年につけたりんごの実も、すごく美味しかった。

だけど、翌年からそのりんごの木は、少しずつ弱っていった。
葉の数も、実の数も減り、味も徐々に落ちていった。
そしてその数年後、ついにそのりんごの木は枯れてしまった。

自分の過ちを後悔した父は、同じ場所にまたりんごの木を植えた。
新しいりんごの木も、すくすく育ったし、季節になると実もつけた。
だけど、枝の伸び方も葉の形もどこか歪で、実も全然甘くない。

でもそれでも、今年こそは、来年こそはと父は根気よく世話をした。
だけど結局、あんなに美味しいりんごは、もう二度とならなかった。
他の場所にも木を植えてみたけど、どれもまともに育ちさえしなかった。

今日、その二代目のりんごの木を切ることにした。
暖かくなって、やっとつけた小さな葉が、毛虫たちの餌食になる前に。

ごめんね。と声をかけてノコを引く。
腐っているように見えた幹は、ノコを少し入れれば簡単に折れるかと思っていた。
でも案外手こずったのは、単純にまだ朽ちてなどいなかったからか。
それとも、ノコを引くたび、父との思い出が消えてしまうような気がしたからか。

そういえば、うちの庭にはシンボルとなる木が2本。
母が大好きなライラックと、父が育てたりんごの木。
そのりんごの木を、今日切ってしまったのだ。
Pia-no-jaC インストアLIVE
松前にある、中四国では最大規模のショッピングモール「エミフルMASAKI」。そこで行われた、Pia-no-jaCのインストアライブに行ってきた。松山市内でもなく、平日の昼間、さらに今日は一日雨ということで、モール内も閑散としているかなと思えばそうでもなく。だけどPia-no-jaCの認知度は、ここ松山ではまだまだ低いようで、ライブ目当てで訪れた客はほとんどいなそうだった。買い物のついでに立ち止った客が50人くらいか。とっても贅沢に、PJのライブを堪能できて嬉しい半面、これが都内のインストアだったらこの100倍は盛り上がっただろうなと思うと、やっぱり残念。
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初めてPJの楽曲を耳にしたのは、下北沢のヴィレヴァンだった。聴いた瞬間、アドレナリンが噴き出る感じ。躍動感に満ちたピアノとカホンのコラボ。即買いでした。車の中でもよく聴くけど、トレーニング中が最適。ガンガン走れちゃう。
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今日みたいな会場だと、PJの良さはきっと半減しちゃうんだろうな。窒息する人が出ちゃいそうなちっちゃなライブハウスで、彼らと一緒に客も汗飛び散らしながら、飛んで跳ねて雄叫び上げまくるみたいな、そんな方が絶対合ってる。でも都内だとチケット取れないのよね…。
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「東洋のマチュピチュ」でも悪かないけどさ
このブログの前身のそのまた前身である、tellと作ったHP「halfmoon」の中で、ブログというよりは交換日記のような(いや、それは語弊があるな)ものを書いていたのだけれど、その記念すべき一回目の投稿(2004.3.28)で、初回に相応しいメデタイ記事に、新郎として登場してくれた友人K。今日は朝から高速に乗って、彼が住む新居浜市へ。あれからちょうど5年。なかなか子宝に恵まれず、辛かった時期もあったようだが、今月彼もついに母親に…じゃなくて父親になった。桃の節句に産まれたyuugaくん、早速抱っこさせてもらいました(因みに抱っこしてる画像はKです。ヒゲ青いね)。tell家のann姫が赤子だったときに比べ、髪の毛ふっさふさ。やっぱ赤ん坊はかわいいなぁ。いかに腹黒さんでも、赤子を抱いているときだけは、聖者の気分。今度会うときは、もうおしゃべりできるようになっているかな。
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出産からまだ20日足らず。奥さんもまだしんどそうだったので早々に退散。「東洋のマチュピチュ」、「四国のインカ帝国」と称されて、最近話題となっている別子銅山跡へ。1691年から1973年まで約280年の間に、650万トンという世界一の産出量を誇った別子銅山。最盛期には3700人がここで生活し、一つの大きな集落を形成していた。長屋のような社宅に住み、一学年100人規模の大きな小中学校、病院もあれば歌舞伎一座がやってくる娯楽場まであった。もちろん採鉱施設では、当時における最先端の技術が駆使されていた。
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標高750メートルにあるこの産業遺跡、一昨年の「行き当たりばっ旅山陰篇」で訪れた島根の石見銀山に続いて世界遺産登録を狙っているようだが、実際遜色はないと思うし、もう少し工夫すれば、後世まで大切に残すべき、価値ある遺跡と認められるはず。そのためにはまず、「東洋のマチュピチュ」だなんて俗っぽい売り出し方はやめて、シンプルかつメッセージ性の高い「森になった町」という別称に戻すべきだ。
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一企業で約300年、この銅山の採鉱を手掛けた住友グループ。資源が枯渇し、施設の危険性も高まった上に、銅の価値が下がって撤退を余儀なくされた昭和48年。彼らはこの町をただ廃棄するのではなく、植林して森へ、自然へと返すことにした。この精神にこそ、後世に受け継がれるべき、素晴らしいメッセージが含まれており、この遺跡を残す価値に繋がるのではないか。閉山後たかだか40年でも、森は確実に甦りつつあった。山間から眼下に臨む瀬戸内沿岸には、今も住友関連の工場群が立ち並ぶ。自然から受けた恩恵を、自然に返す企業。その企業の発展を天空から見守る産業遺跡、別子銅山跡。世界に誇っていいと思う。
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眠れない夜は
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夕方から降り始めた雨が、雷をともない、窓を叩きつける豪雨になっている。
早咲きした桜は、この雨で散ってしまうだろうな。
日中は半袖でも暑いくらいだったから、咲いた直後にこの雨を食らった桜はかわいそう。
開花を待ち焦がれて、やっと咲いたと思ったらあっという間に散る桜。
でも、桜の後にはハナミズキ。
この花も大好き。

こんな雨じゃなくても、ここ数カ月はずっと眠れていない。
やっと寝られたと思ったら、起きても忘れられないほどショックな夢を見てしまう。
不眠症対策の一つとして、就寝前のホットミルクは欠かさないのだけど、あまり効果がない。

ベッドの中で何時間もただ天井を見つめているのも辛いので、最近はネットラジオを聴いている。
友人、広瀬未来さんの「Aoyama plaっと street!」。
実はこのタイトル、深い意味を持つのだけれど、ネーミングに一役買っていたりする。
内容は、毎回一つメインテーマを決め、それについて彼女独自の視点で楽しくおしゃべり。
旅行やグルメ、ファッション、スポーツなどなど、幅広い。
因みに、2005年のクリスマスSPエディションでは、拙作『最後の約束』もノーカットでオンエア。
久しぶりに聴いた。いい物語だ。自分で言っちゃうけど。

そういえば先日、広瀬さんから「ブログの内容が暗い」とお叱りの言葉を受けた。
ヘコんでたり、ヤサグレてたり、負のオーラ撒き散らしてると大概、厳しい突っ込みが入る。
彼女の言葉はストレートで、ときにグサリと胸に突き刺さる。
けど、気がつくといつも彼女の信念と優しさに救われている。
今夜はどのエディションを聴きながら眠ろうかな。
3度目のしまなみ
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大叔母の葬儀で、母が広島の呉へ行くというので、車に乗せてしまなみ海道を渡る。
これまでほとんど縁のなかったしまなみ海道だが、この半年の間にこれで3度目。

昨年10月は、伯方島まで。
12月のtellとのばっ旅では大三島で途中下車、そして尾道まで。
そして今回は日帰りで往復。
いずれも記憶に深く残りそうな道中ではあったが、もうしばらくはいいかな…。

葬儀に出席するでもなく、呉を観光するでもなく、今回は母の送迎役のみ。
母が葬儀に参列している間は、ファミレスで読書、執筆、お勉強。
唯一、食べログで見つけたお蕎麦屋「とうてつ庵」でのランチだけかな、旅先での出来事といえば。
ここは、蕎麦の具だけでなく、蕎麦自体の種類も選べる。二八蕎麦とか、田舎蕎麦とか、生粉蕎麦とか。あったかい汁で食べる生粉の鴨南せいろを食べたけど、美味でした。ちょい割高だけど。あと、茶が不味い。
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道中は、母が祖母に聞いた、大叔父と祖母の関係、祖父母の結婚秘話など、祖母に纏わる数々の物語が非常に面白く、まるで色褪せた映画を観ているような感覚で。
帰宅直前に、母に決意表明。
でもちゃんと理解してくれたか、心配。

にしても、往復6時間。
しかも、道程の半分は峠超え。
葬儀にも出席して相当疲れたはずなのに、そんな様子も見せず。
元気になったなぁ、母。
これも足底板の効果か。
桜前線に乗っかって
心臓の病気で入院した叔母の見舞いに行ってきた。検査を終え、あとはオペを待つだけの叔母は元気そうだった。急性にも関わらず、月一で行っている身体検査の中で疑いが持たれ、大事に至る前の段階で処置ができるのは不幸中の幸い。手術も難しいものではないらしいし、成功すれば完治するらしい。

叔母が入院している病院は、父が亡くなった病院と同じ。保険絡みで、必要な書類を入手するために来院して以来か。あれからもう1年以上経つというのに、つい先日まで毎日通っていたような錯覚に陥る。叔母は、治る病気でよかった。病院を去るとき、荷物だけまとめて、本人が一緒じゃないなんて辛すぎる。
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病院へ向かう川沿いの土手に、早くも開花した桜の樹が。月末にかけて、一気に桜前線は北上していくのだろう。前線と一緒に、上京できたらいいのに。
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どうしたって今日は父のことを強く思い出してしまい、散骨した皿が嶺の麓まで行ってみようかと車を走らせたが、林道に入る手前で雪に阻まれた。市街地では桜が咲いているというのに、山間部ではこの有様。寒さに強い樹だということだけど、ライラックは無事だろうか。
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白い世界
連日、朝6時に鳴り響くサイレンを聞くまでは眠くもならず、ようやくウトウトし始めた頃に、アラームに叩き起こされる生活を続けているせいか、頭がぼうっとして、今日はついに階段から滑落した。大事には至らなかったが、足の指をしこたま打ち、声にならない声をあげて息を詰まらせた。もうそろそろ心の痛みに耐えきれまいと、それならば肉体の痛みで紛らわせるがよかろうと、神様の施した荒療治なのだろうか。確かにその瞬間は、真っ白になって忘れられましたけどね、最近生傷が絶えないんです。
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真っ白と言えば、なんだか急に柴田淳の『白い世界』が聴きたくなって、一曲聴いたら、もっとどっぷりと彼女の世界に浸りたくなって、早速TSUTAYAでベストアルバムを借りてきた。どっぷりと浸った結果、今絶対聴いちゃいけないアーティストだったことが判明。「○○ソングの女王」と呼ばれる人だったなんて…。にしても彼女、どうしてもっと売れないんだろう。歌詞も歌も素晴らしいのに。

本日、ある人をモチーフに、真実と実体験をベースに描いた短編を脱稿。400字×8枚で描くには、内容の濃過ぎる物語なのだが、本編の序章とすれば、まぁ納得のいくものになったかなと。他人の評価はどうあれ、今だから書けたものだと思うし、久しぶりに後日削除しないであろうと思われる作品。

友人から、東京は雪だというメール。松山では雪こそ降らなかったが、冷たい涙雨に打たれた。桜の季節が待ち遠しい。出逢いの花、そして運命の花、桜。もうすぐもうすぐ。
百年の孤独
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薦められて、ノーベル文学賞を受賞したガルシア・マルケスの『百年の孤独』を読んだ。マコンドという架空の村を舞台に、ブエンディア一族の百年を描いた物語。これほどまでに情景・心理描写に優れた、リアリティー溢れるファンタジーも珍しい。とはいえ、技巧的で分かりやすい小説を読みなれていると、矛盾に満ちた圧倒的かつ衝撃的なエピソードの連なりには多少抵抗があり、序盤は読み進めていくのが非常に辛かった。就寝前の、大人のお伽噺として読み聞かせてもらうには最適な物語。因みに、昨日はガルシア・マルケスの誕生日だったらしい。
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誘われて、市民会館で行われた「森田康二ジャズダンススタジオ」の公演を観てきた。開場時間を少し過ぎて到着すると、入口から長蛇の列。地方の、しかも個人のダンススクールの一公演とは思えない盛況ぶり。580のキャパがある中ホールに、立ち見まで出ていた。内容としては、中には劇団四季に入団が決まった逸材もいたが、公演というより発表会的。でもテンポや構成の良さで、意外と楽しめた。
ディア・ドクター
昨夜は24時ギリギリに脱稿。内容と心情がシンクロして、苦行のような一週間だった。しかも、いつもなら感じるはずの、脱稿後のカタルシス的解放感が全く得られない。邪念やら雑念やらに満ちた苦行では、それも仕方ないか。
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西川美和監督『ディア・ドクター』を観た。内容については、同じタイミングで鑑賞していたtellの昨日のブログに、素晴らしい完璧なレビュウが記されているので、是非そちらを読んで戴くとして、個人的な感想をちょっとだけ。

敬慕の情を表す研修医に現実を突き付けた上で、自分は「ただ飛んできた球を打ち返していただけだ」と真情を吐露する主人公。でも実はそれこそがスゴいことなんじゃないかと思う。球は「期待」の大きさ分だけ重くなり、飛んでくる球数だってどんどん増える。でも期待に応えるためにハッタリをかまし、嘘を上塗りして。自分の立場は苦しくなるばかりだけど、飛んできた球は、きっと打ち返す。嘘は嫌だから、誠実でありたいからと、きれいごとを並べ立てて逃げ出す方がよっぽど簡単じゃないか。飛んでくるから打つ。打つからまた飛んでくる。その繰り返し。簡単なようで、実はものすごく大変なこと。

それにても、井川遥は存在感増したなぁ。他の豪華キャスト陣に一歩もひけを取らないどころか、きらっきら輝いておりました。
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Author:ryuu
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