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2009/10
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伯方の塩
昨日の疲れもあり、予定の出発時刻よりだいぶ遅くなって、しかも目的地も決まらないまま車に乗り込む。あれこれ考えたが、天気もいいし、海を目指そう。双海も考えたが、196号を北上することに。

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数年前に両親と生口島の「平山郁夫美術館」を訪れて以来の「しまなみ海道」は、愛媛県の今治と広島県の尾道を結ぶ橋。学生時代、友人と橋が出来ていく過程をよく見に来ていた。
快晴な上、まるで貸し切りのように交通量の少ない橋を走るのはとても気持ちよかった。今度はバイクで走ってみたい。

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伯方島で高速を降りて、ガイドブックに紹介されていた、本場伯方島で作る伯方の塩ラーメンを食すため、「さんわ」というお店へ。

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普段お店でラーメンを注文するときは、醤油→味噌→塩→とんこつの優先順位。でもここでは当然塩ラーメンをオーダー。
見た感じの通り非常にシンプルな具材で作られているのだが、味はまさにこれこそが塩ラーメン。というか、潮ラーメンな感じ。そもそも普通の塩ラーメンってどこが塩なんだろうと思っていたが、ここの塩ラーメンは、本当に海の味がするのだ。何気に美味かったなぁ。

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本当は大三島まで足をのばして、伯方の塩工場で塩ソフトクリームを食べたり、洒落た和カフェでお茶したり、瀬戸内海を望む露天風呂に入ったりしたかったのだが、しまなみ海道沿いの店は軒並み閉店時間が早く、営業日も週に2、3日しかなかったりする。

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でも伯方島インター付近の海辺にも塩ソフトクリームを売っているところがあった。瀬戸内海を眺めながら、塩ソフトクリームを食べ、のんびりとした時間。

夕日に照らされる瀬戸の小島を横目に四国本島に戻り、山道を越えて父の墓へ。石鎚登山を報告する。昨年当月、彼も石鎚に登っていた。その翌月には笹ケ嶺を登った彼が、わずかその一ヵ月後に突然…。母同様、いまだに「どうして」と呟いてしまう。

何はともあれ、穏やかで、得るものの大きかった二日間だった。
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霊峰石鎚
今日は鳥海山と同じく百名山の一座であり、日本七霊山にも数えられる霊峰石鎚山にアタック。
週末に降った雨も昨日には上がり、多少地盤の緩みを懸念はしたが、ここも「約束の山」の一つであり、決行することに。

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石鎚登山は小学生の頃、学校の行事で登って以来二度目。学生時代にスキーに来たことはあったけど、恐れも知らず鎖場を登った記憶は非常にあやふや。
車で国道11号から黒瀬ダムの横を行き、登山口からはロープウェイで一気に標高1450Mの成就へ。

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成就社で無事登頂できることを祈る。

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緩やかな八丁坂をだらだらと下るところから始まる石鎚登山。頂上を目指して少しでも上がっていきたいのに、意に反して坂は下る一方。まるで人生みたいだ。
紅葉が美しく、一面に敷き詰められた赤や黄色の絨毯の上を、滑らないようにゆっくりと歩く。

八丁坂を下りきったところに鳥居。そこからが登りの始まり。しかも坂というより段差が続くので結構辛い。これほどの急勾配を登らされるのは、緩い下り坂で紅葉狩りに興じたツケなのか。自ら望んだわけじゃないのに、不条理。まるで人生みたいだ。

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石鎚といえば鎖場。「試しの鎖」があって、「一の鎖」、「二の鎖」、そして「三の鎖」と、四つの鎖場がある。小学生の頃に登ったのが一体どの鎖場だったか記憶にないが、まず最初に現れた「試しの鎖」を前にして、ちょっとビビる。これが試しってことは、後に待ち構えるのはどれほどなのか。

とはいえ、鎖場で登ってこその今回の石鎚登山。気力を奮い立たせて鎖に手をかける。ロッククライミングさながらに、次の手、次の足の遣り場を慎重に選びながら、その一手一足に命を賭ける。命綱なんてない。一瞬の油断や判断ミスが死を招く。

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試しの鎖を登りきると、石鎚山系を360度パノラマで見渡せるゴツゴツした岩場に辿り着いた。
緊張で喉はカラカラ。腕や足も力み過ぎて歩様が怪しい。なんとか岩場に腰掛け、吹き抜ける風を感じながら、紅葉する山々を眼下に見下ろす。少しガスってはいたものの、まさに絶景。これこそが、恐怖心や逃避願望、自分の弱さと闘い、打ち克った者だけに与えられる栄誉。
全ての鎖場には迂回路があるが、この頂に立てるのは「試しの鎖」を制覇した者のみ。闘わなければ、決して手に入らないものがある。まるで人生みたいだ。

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登りよりも二倍は恐ろしい鎖での下り。緊張の度合いも二倍。
切り立った断崖絶壁の頂きを見上げ、よくもまぁあんなところに登ったもんだと…。

試しの鎖場からブナ林を抜けると、また少し下りになって、見晴らしのいい「夜明峠」に辿り着く。晴れていればここから天狗岳も望めるらしいが、正午も過ぎて霧が深まるばかり。

試しの鎖よりは比較的楽に「一の鎖」をクリアし、小屋で食事を着替えをしてから「二の鎖」へ。
恐怖心はなかった。でも65Mもある鎖上方は霧で霞み、岩場は濡れて登山靴でも非常に滑りやすい。体力的(特に腕力)不安もあり、「二の鎖」はパスすることに。
次の戦のために深追いをせず、兵を引くことも時に肝要。まるで人生みたいだ。

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そしてとうとう最後の難関、「三の鎖」。ここを登れば、石鎚神社山頂社のある弥山だ。
「三の鎖」の高さは68M。因みに「試しの鎖」は登り48Mで下りが19Mで、「一の鎖」は33M。「二の鎖」同様、そのてっぺんは霧で見えないし、足場はさらに濡れて滑る。が、ここを登らないわけにはいかない。岩場にはろくに足をかける場所もなく、鎖の穴に登山靴を突っ込みながら、腕力や脚力よりも精神力でぐいぐいと登る。途中息が上がり、心が折れそうになったこともあったが、前を行く人の背中を見て、勇気を奮い立たせた。一人じゃない。まるで人生みたいだ。

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そしてようやく辿り着いた弥山山頂。
石鎚神社に手を合わせ、無事を感謝する。

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弥山の標高は1974M。看板にある1982mというのは、ここから小キレットというか断崖絶壁のナイフリッジを行った先にある天狗岳の標高。でもまるで雲上の天上界にいるような、数歩先が霧で見えない状況で、時間的余裕もなく、今回はそこまで行けなかった。

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強風により、時折霧の晴れ間から石鎚山系がその雄大な姿を現す。

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ほんの一瞬だが、天狗岳も顔を出す。
いっぺんに全てを味わい尽くすのではなく、究極の楽しみは後にとっておくものだ。と言わんばかりに。まるで、人生みたいだ。

下山は鎖場も全て迂回し、所用時間は登りの半分というハイペース。
人生を登山に例えることがよくあるけれど、今回ほど強く思い知らされたことはなかった。

下山後は、疲弊しきった精神と肉体にご褒美を。
まずは焼き肉。ガツガツ食う。ヒットポイント回復。
そして「ニュー道後ミュージック」というストリップ小屋(何故?)。マジックポイント回復(なわけねぇだろ)。高校卒業記念以来だったけど、まさかいまだにこんな盛況だとは。そもそも今回は目的が違うから視点も違うわけだけど、でも全くドキドキしないストリップって如何なもんだろうか。一人とっても笑える客がいて、そっちの方に釘づけになってしまった。
そして仕上げはやっぱり媛彦温泉。

山から学ぶこともたくさんある。
でも人の心を動かすのはやっぱり人。
大切なことをたくさん教わった一日でした。
さまよう刃
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益子昌一監督『さまよう刃』を観てきた。原作が東野圭吾だし、キャスト陣も豪華で公開を楽しみにしていたのだけど。
この重いテーマに対して、この監督独自のメッセージってのは何だったんだろうか。この結末をして、やりきれなさを抱きつつも納得できてしまう人がいるのは確かなようだが、個人的には憤慨極まりない。
殺人事件の時効なんて論外だが、どんな凶悪犯に対しても死刑は廃絶すべきだと訴える想像力に乏しい人がいて、少年に対してはさらに甘い判決を下すこの国で、冷酷無情な手口で大切な人を奪われた被害者は、その煮え滾る復讐心を法に委ねる気になれるものか。犯人を裁く人間は、その事件の第三者であることが当然のように思われているが、遺族への同情も結局は他人事でしかない。
個人的な感情論と捉えられてもいたしかたないが、凶悪犯罪に対する復讐、仇討にこそ、法をもって奨励し、協力して然るべきだとさえ思う。仇討こそ武士の誉れといわれた時代もあった。
原作は改悪され、キャストも活かしきれていない。勿体ない。
でっかい買い物
長引いた風邪もようやく治ったようだ。でも母はいまだに苦しそうな咳が続いている。特に就寝時に症状が悪化するらしく、夜通し咳をしている。もともと喘息持ちなので、治りが遅いらしいが、帰国からもう2週間。来週まで引きずるようなら無理やりにでも病院に連れていくか。

そんなこともあってようやく決断し、それでも見つけてからはトントン拍子に話を進めて今日、今までの人生で、有形物としては最も高い買い物をした。6月の帰郷から、遅かれ早かれ必要になるだろうとは思っていたが、今回の母の病気で決心がついた。早ければ来週金曜日に納車予定。

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体調が優れず、最近よく映画を見ている母から薦められた韓国映画『My Son~あふれる想い~』を鑑賞。ほとんど話題にも上らず、yahooのレビューにもほとんど投稿がない、内容的にも比較的地味な映画だが、巧みに張り巡らされた伏線が、驚きと感動に満ちたラストシーンを絶妙に演出する。実話ベースに描かれた脚本も秀逸で、久しぶりにいい涙を流せる素敵な映画。

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本多孝好の『WILL』も読了。大ヒットした『MOMENT』の続編的な作品なのだが、著者特有の台詞回しは健在なものの、イマイチ新鮮味に欠け、正直期待外れ。それでも、創作意欲を触発するスパイス的要素はあり、それが何かに繋がればと。
1Q84
中国から帰国した翌日は母と二人で高熱を出す。二人でいるのに相手の看病ができないもどかしさを感じながらも、ろくに立ちあがることもできないのだから仕方がない。姉が買ってきたゼリーやヨーグルトだけ食べてひたすら寝た。
当たり前だが治るスピードには差があり、少し良くなったと思って溜まっていた家事やら相手の看病をした方が、またヒドくなって寝込むという悪循環。それを繰り返しながらも、少しずつ快方に向かってきているような気がしないでもない。

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今更ながら、村上春樹『1Q84』読了。
今までの春樹ワールドから少し離れた、能動的意志的に不可抗力的な時の流れに敢えて立ち向かう青豆という登場人物が、女性として非常に魅力的に描かれている。
物語としてはここで終わっても充分楽しめるが、重いテーマを掲げた責任を取るためには来夏発売予定の続編Book3が必須。楽しみに待とう。
告白
昨夜から母が体調を崩し、朝起きたときには自分も身体が重く咳が出る。
関空で元を円に戻し、昼食を食べて搭乗時間を待つ間もどんどん悪化していくのが分かる。でもそれでも家に帰るまではと気を張っていたが、松山空港から自宅へ戻るまでのタクシー車内では咳が止まらなくなった。

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旅中に2009年の本屋大賞を受賞した湊かなえの話題作『告白』を読了。
各章登場人物各々の視点から延々語られる文体は新鮮で、陰鬱ながらもその暗い感情には引きつけられるものがあり、最後まで一気に読めた。が、読後感は最悪。
プロフィールを見ると、著者は脚本でも過去に受賞歴があり、こういう作品を描くのは発想の転換次第で比較的容易だったのではと納得。非常にドラマ的で、映像化も近いのでは。
北門、そして帰国
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ホテルをチェックアウトし、北京へ発つまでの時間で、昨夜帰り際に温さんが連れてきてくれた北門へ。昨日平遥で観たような城壁は既に太原に残っていないと嘆いていた母だったが、かろうじて北門だけは残されていた。
周囲には高層ビル群が建設途中で、クレーンやら何やらで景観が損なわれて失望もあったが、それでも母にとっては特別な思い出の場所。出発までの僅かな時間だけでも、明るいときに一目見ておきたかったのだ。
北門前の広場は、朝の太極拳タイムだったらしく、スローモーションで動くおばさんたちがいっぱい。

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デジカメを奪われ、綺麗な画像で母の写真を撮れなかったのは本当に残念だったけど、母はしっかりと心のファインダーに焼き付けたはず。

太原空港までの道が大渋滞で、搭乗手続きはギリギリになってしまったけど、なんとか無事帰国。
今夜は関空からタクシーで橋を渡ってホテルに一泊。
いろいろあったけど、なにはともあれ無事に帰国できてよかった。
平遥へ
朝、母が出かける準備をしている間、日本語通訳の手配をコンシェルジュに依頼。地理に疎く、言葉も全く通じなくては、お話にならない。tellと行く「ばっ旅」のように、ハプニングこそ旅の醍醐味という趣向ではなく、限られた時間を母のために最も有効に使う必要があるのだ。しかも300元で通訳兼現地ガイドが一日付くなら雇わない手はない。食事をするにも切符を買うにも苦労する国なのだ。

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太原駅から平遥に向かう列車の発車時刻まで時間があったので、太原の観光名所「双塔寺」を訪れようかと思ったが、距離が遠い上に確実に渋滞に巻き込まれてしまうだろうということで、ガイドの温さんが推奨する「崇善寺」へ向かう。
双塔寺にはいないらしいお坊さんに出迎えられ、「大悲殿」という社殿の中に入ると、8メートルもあるという見事な千手観音像が。しかもどこぞの像と違い、本当に千本の手があるらしく、その迫力たるやまさに圧巻。左右には文殊菩薩と普賢菩薩を従え、威厳もたっぷり。

駅前も黒土巷にも昔の面影は見当たらず、母と同世代の住民に話を聞くことも叶わずで、想像はしていたことだけど肩を落とす母を見るのは切ない。なんて思っていたら、ガイドの温さんが非常に勉強家で、日本語も流暢だけど、中国と日本の歴史についてとても精通していることが分かった。そもそも中国と日本の国交は歴史が深く、その過去を紐解くには生半可な努力ではできない。なのに彼は日本人である自分たちよりも日本史に詳しく、一度開口すれば立て板に水の如く朗々たる講釈が始まる。太原という地を訪れる日本人観光客の多くは、母と同じように幼い頃の思い出を辿りに来る高齢者たちで、彼らが最も欲する知識についても、温さんは当然習得していた。そしてそのことを知った母のテンションは、一気に上がった。

母が太原の小学校に通っていたことを知ると、温さんは「富士小学校?それとも大和小学校?」と尋ねた。もうその質問をされただけでキラキラと表情を輝かせた母が「富士小学校です!」と答えると、校舎はないが校門が残っており、崇善寺からすぐ近くだからと早速案内してくれた。足の悪い母が速歩の温さんに着いていくのは相当キツかったと思うが、嬉しさと流行る気持ちがそんな事実を忘れさせているようだった。校門の前に立ち、涙ぐむ母の顔を見て、奇跡的な縁で巡り合えた温さんに感謝感謝。

駅前までタクシーに乗り、駅舎に向かって交差点を渡ろうとしたときのこと。
他の街でもそうなのか知らないが、駅前の交差点は、混雑というより寧ろ混沌としている。ドライバーに交通マナーが皆無なら、歩行者に自動車に対する恐怖心もない。横断歩道もろくになければ、信号も機能しているとは言い難く、その結果無法地帯と化している。よくもまぁこれで事故が起きないことだと驚きを通り越して呆れながらその様子をデジカメに撮り、ベルトループに掛けたケースに入れて交差点を渡る。一瞬の車の切れ目を、タイミングを見逃さずに渡らなければ、この交差点は一生渡れない。

渡ってホッと一息。デジカメケースのファスナーをしっかり閉めておかなければと思って手を遣った瞬間、顔が蒼褪めた。そこにあるべき物はなく、まずは自分の行動を疑ってポケットや鞄の中を探ってみるが、やっぱりデジカメは見当たらない。振り返ると、周りの中国人の顔がみんな犯罪者に見えた。足元を見まわしてみても、渡る前の場所に戻ってみても、当然見つかるはずもなく。一瞬の油断が招いた事件に、ガックリと肩を落とす。デジカメはいい。でも今まで中国で撮った母の画像だけは返してほしい。そんなことを誰に訴えられるわけもなく、自らの迂闊さを呪うばかり。

だから、この先もこれまでの記事に使用した画像も全てiphoneで撮ったもの(崇善寺の画像はどこぞのサイトから拝借)。あー、悔しいったらありゃしない。
ということで、これからは画像満載でお送りします。

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太原駅構内。何故か電光掲示板だけは立派。でも非常に分かりづらい。温さんがいてくれなければ、どこ行きの列車に何番ホームから乗ればいいのか分からず不安で仕方なかったはず。

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だだっ広い待合所の中に人だかり。何だろうと思い近寄って覗き込むと、床に広げたシートの上で、将棋のようなチェスのようなゲームに興じている。遊び方を知りたいが、まずゲームの名前が分からない。検索ワードとしては、「チェス」「将棋」「中国」とかかなぁ。

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平遥に到着。長い長い車両の列車に揺られて1時間半。通常平遥を訪れる観光客は、太原でガイドを手配してタクシーで向かうらしく、ベテランガイドの温さんでさえ列車で行くのは初めてだったらしい。でも同じ車窓でもタクシーと列車では全く雰囲気が違うし、疲れたら横になれる寝台車は結構快適で、おまけに時間もお金も節約になる。自分たちだけでは心細いが、ガイドさんのチケット代を負担したって全然お得。

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駅前で4人乗りの荷台をつけたバイクを拾い、平遥の古城まで。道案内だけでなく、値段交渉までしてくれる温さんはとっても頼りになる。
明朝時代の古城は、平遥の他にも成都など数箇所に現存しており、より広大で豪華なものもあるらしいのだが、世界遺産に指定されているのはこの平遥の古城だけ。景観を損ねる工場などを極力廃し、改築するにも厳しい基準があるらしい。

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母が見たかったのはこの城壁。昔は太原にも同時代の古城が残っており、この城壁の上を歩いて学校に通ったり、遊びに行ったりしていたのだという。残念ながら太原には僅かに北門が残っているだけで、この景観は臨めない。

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古城内は、基本商店か飲食店になっており、世界各国から訪れる観光客を相手に商売を営んでいる。

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いくら当時の町並みを再現しても、町の住民たちがブランドものの洋服に身を包んでいては台無しだが、ここの人たちは恐らく当時とさほど代わり映えもしておらず、本当にタイムスリップしたような感覚を味わうことができる。

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あのデジカメならなぁ。もっと綺麗に撮れてるはずなのに…。

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できればこの町に一泊して、もっとゆっくり観てまわりたかったが、戻りの列車まで時間がなく土産物を探す時間も食事をする時間もない。唯一、数多立ち並ぶ骨董品屋で、太原駅で見たあの将棋のようなチェスのようなゲームを見つけたので記念に購入。ルールも分からず、対戦できる相手も日本にはいなそうだけど。

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あっという間に時間が過ぎて、駅に向かおうと急かす温さんが捕まえたのが、おじいちゃんの運転する荷台付き自転車。ペダルを逆に漕ぐ不思議な自転車を運転するおじいちゃん、齢のわりに体力あるなとは思ったけど、普通に走った方が速そう…。

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少し高くついても帰りはタクシーを拾う案もあったのだが、結局列車に乗って太原に戻る。車内では疲れていたので少し横になりたかったのだが、日中の歴史について、唾を飛ばしながら熱く語る温さんの話に頑張って相槌を打つ。

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太原に着いたのはもうだいぶうす暗くなってから。昼食を食べる時間もなかったので、温さんオススメの中華「風味大王」へ。

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ずらりと並んだサンプルから選んでオーダーするスタイル。
まずサンプルから美味しそうに見えないんですけど…。

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でも北京ダックや餃子など、無難そうなものはそれなりに美味しかった。

連日仕事で、本来今日は休みのはずだった温さん。彼のおかげで今回の旅が本当に有意義なものになった。母もしきりに「温さんのおかげです」と頭を下げていた。
疲れているはずなのに、食後も母が行ってみたいであろう場所をあちらこちらとタクシーで案内してくれて、もちろんギャラは少し多めに支払ったが、この感謝の気持ちはとてもお金では表現しきれない。

今度は兄弟を連れてきてくださいねと微笑む温さんを家の近くまでタクシーで送り、ホテルに帰ったのは21時頃だったか。明日はもう北京経由で帰国の流れ。想像以上にハードなスケジュールになってしまったな。もう一日くらい余裕をみればよかったかもしれない。
太原へ
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まだ暗いうちからホテルを出発し、カーラジオから流れる曲に乗ってノリノリで歌うドライバーの運転するタクシーで北京空港へ。ただでさえ不安な中華航空の、国内線の機体はとても古く小さい。7時35分に北京を発ち、8時40分に太原空港着。全然リラックスできなかった。飛行機が怖いなと思っのは、学生時代に大韓航空で渡英して以来かも。

空港から太原の市街地までは結構離れおり、タクシーで40分ほど。それにしても、運転マナーみたいなものは皆無だな。車線変更しまくり。割り込みまくり。クラクション鳴らしまくり。でもそれが当たり前みたいな。いくら国際免許を持ってても中国では絶対運転したくない。

午前中に「山西大酒店(シャンシーグランドホテル)」に到着。相当疲れたらしく、母の顔色が悪い。背中をさすってやり、しばらく眠ることに。高齢で慣れない長旅。それほどには見せないまでも、実は相当に疲れたはず。欲張って北京観光もなんて案もあったが、とても無理だったな。

昼過ぎまで寝て、母も少し元気になったようなので、太原駅までタクシーに乗る。当時祖父が駅長を務めていたのが、この太原駅。駅前の景色は見る影もなく変わり果て、中途半端な高層ビル群が立ち並んでいたが、やはりこの駅舎の前に立つと、感慨もひとしおだったようだ。

昼食は、駅そばの小汚い大衆食堂に入り、ラーメンを注文。めちゃくちゃ不味い。一口食べて閉口。二口目で箸を置いた。店の汚さや店員の粗雑さには目を瞑るから、せめて味くらいはまともなもの出してくれよ。中華の本場だろ。

母が少女時代、この駅前を通り、線路を潜って通っていた富士小学校。今は残っていないが、もう70年も前の記憶を辿りながら、その道をゆっくりと歩く。古さを残すでもなく、新しく変化を遂げるでもなく、全くもって中途半端に移り変わった街並みを、少し切なげな表情で歩く母。

それでも、住んでいた「黒土巷」という地名を町の看板に見つけたり、通学途中に取って食べた棗などを買ってみたり、その度にテンションを上げて思い出話をする母の嬉しそうな表情。5歳から12歳までの間、両親や弟妹たち、友人たちと過ごした母の少女時代。どっぷりと浸かることはできなくても、その片鱗に触れることくらいはできたならと思う。

夕飯はホテルのレストランで、アメリカンクラブサンドを。この旅を通して、何気にこれが一番美味しかった。
北京へ
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一便で松山空港から関空へ。出国まで6時間弱。食事をして、搭乗手続きや外貨両替など済ませても有り余る時間。少しでも母の体力のロスを減らそうと思うが、航空会社のラウンジはファーストかビジネスクラス専用だし、カード会社のラウンジはゴールドカード専用。いやはや金持ちには親切な国だこと。仕方がないので、関空ラウンジというネットカフェ的スペースに入って仮眠を摂る。

中華航空で関空を飛び立ったのが14時20分。到着は現地時間の16時35分。時差は1時間なので、所要時間は約3時間。北京空港からタクシーを拾い、空港最寄りのはずなのに場所知らない運転手に、ホテルの電話番号を渡してなんとか目的の「北京エアポートホテル」へ辿り着く。空港で客待ちしてるタクシーが、エアポートホテルを知らないって…。

夕飯は、ホテル近くの繁盛している火鍋屋へ。都内でも洒落た火鍋屋はたくさんあったが、実際に行ったことはなかった。意外と愛想のいい店員さんたちばかりが、過剰なほど親切に食べ方など教えてくれたが、中国語で説明されてもさっぱり分からないし、英語で喋ってくれる店員さんの英語は、さっぱり聞き取れない。まぁ、日本でいうしゃぶしゃぶでしょと思いながら、安いのをいいことにあれやこれや注文していたら、サイドテーブルまで必要なくらい大量の具材が運ばれてきた。残すのも悪いと思って必死で食べたけど、しゃぶしゃぶの方がよっぽど美味しいね。日本の火鍋は違うのかもしれないけど。

明朝も早いので、今夜は早々に床に就く。
出発直前なのに
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先月末から今日まで、いよいよ明日に迫った母との中国旅行の準備やら、諸々の手続きなどある中で、気持ち的にも決して落ち着けるような状況下にはなく、淡々と時間だけが過ぎ去った。当事者なのにまるで傍観者のような目線で送る日々。こういう時間って、後々になって振り返っても、すっぽり記憶が抜け落ちてしまっていたりするのだろうか。

当初から時間的余裕が全くなかった上、中国が国慶節に入ったこともあって、交通や宿泊などの手配に手間取り、全ての手筈が整ったとエージェントから連絡が入ったのは、出国前日の今日になってやっと。状況が状況で、その手配は大変だったとは思うけど。でもそれにしても、連絡しますと言っておきながらその電話が翌日だったり、当然聞かれるだろう質問について全く事前リサーチもしていなかったり、そのせいで出発前日の夕方、貴重な時間に2時間近くもカウンターで待ちぼうけを食らわされたのには流石に腹が立った。エージェントにとっても不慣れな案件だったとは思うが、高齢の母を連れて、言葉も通じず治安も悪い中国を旅する客に対して、あまりに不親切な対応だった。チケットの発券だけが仕事なら、旅行会社なんて必要ないし。一体どういうスタンスで仕事に臨んでいるのか。

代理店を出た時にはもうかなり遅い時間で、買うつもりだったものも買えないまま、急いで帰宅して携行品などの最終チェック。しかもそんなバタバタしてる中で、iphoneのアドレスデータが全て消去されてしまうという最悪な事態に。明朝早いというのに、対処法など検索していたら、結局朝方に。母を連れて行くから、万全を期して出発したかったのに、こんなんで大丈夫なんだろうか。
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