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王さん is awesome
王監督の辞任会見と、ホームグラウンド最終戦後の挨拶を見て目頭が熱くなった。

個人的にプロ野球への関心は薄く、優勝争いをしているチームがどことどこだとか、記録に絡む話題を一応情報としておさえている程度。でも一野球人としての生きざまに感銘を受け、常に気にかけている存在が二人いる。一人はイチロー。もう一人は、そのイチローをして、球界で尊敬できる数少ない偉大な人物と言わしめた王貞治。

栄光の陰に波乱万丈の歴史があった彼の現役時代をほとんど知らないし、子供の頃からアンチ巨人だった。でも、王さんだけは大好きだった。野球好きでなくとも、あの一本足打法には憧れたし、どこから入手したのか、実家にはサインボールまであった。

優しく誠実で、周囲への配慮を忘れない。でも強い信念を持ち、志を貫くことに揺らぎがない。だからこそ頑固で、融通が利かない面もあるが、その根底には愛があり、誰よりも何十倍も惜しむことなく努力している。男として、人間として、素晴らしい人物だなと思うし、見習いたいと思う。そして彼を敬愛するもう一つの大きな理由は、その面影も、生き方も、とても父に似ているから。父の子であることを恥じない自分でありたいと、近頃よく思う。
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りりかるなりりぃず。
浴槽の底が抜けるほど深く沈み、感覚を殺して意識を集中していたら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。朝方、水風呂の中で目を覚ます。前を向いたまま大幅な後退などできるはずもない。いつの間にか見失っていた本筋との分岐点まで、悔しさを噛みしめながら足早に戻る。

時間はないけれど、雨も降っているけど、今日ばかりは鬱々とした気分を変えて、ずっと楽しみにしていた黒田百合のワークショップ公演『Lyrical Lilies~コトノハ舞踊』へ。場所はいつもの四谷「Studio Dansage」。今回はtellも一緒。

WS公演という形態故に如何ともし難いが、歴然とした演者の実力差が作品に及ぼした影響は小さくなかった。それは非常に残念。でも、それでも彼女が意図した試みは明確に伝わったし、相変わらず独創的で神秘的な世界観は観客の心を魅了した。

今回は敢えて全曲邦楽を使用し、言葉という普段は対極にある手段を用いて、ときにストレートに、ときには逆手に、メタフォリックに表現。宇宙のように無機質で冷たい世界、太陽の光に照らされて色鮮やかに映し出される暖かな世界。ブログを読めば分かることだが、彼女の言葉選びのセンスは嫉妬するほど秀逸。それは意味よりも、言葉に宿る力や性質を知っているからなのだと思う。そんな彼女の心に響いた歌詞は、当然の如く素敵なものばかりで。

スタジオ中に溢れるコトノハにまみれて、ひらりひらりと舞い踊る黒田百合。その圧倒的な身体能力と存在感は言うに及ばず、彼女ならではの全くもってリリカルな作品に、憂鬱なことも忘れて酔いしれることができたのでした。今回はパイロット版ということで、いつか是非本編を、そして続編を作ってほしいと思う。一日限りのショーイングで終わらせるのは勿体ない。
一歩進んで…何歩下がってんだよっ!
台風の接近にも怯むことなく、夜中まで友人に付き合ってもらってブレスト。今週中には人に見せられるレベルのシノプシスを上げようと思って、ほぼ徹夜の日々が続いている。なんだけど、今日のブレストが終わってみれば、一歩でも前進するどころか、五十歩も百歩も後退した感じ。一人帰宅して、何もする気力が起きず、台所でしばし呆然と立ち尽くす。昨日、このタイミングで映画『おくりびと』を観たことにも確実に意味があると思われ、でも何をどうしていいのか。原点に立ち返るしかないのだろうな。
静謐な温もり
今月12日に一歳の誕生日を迎えたannちゃんへのプレゼントを渡すため、目黒でtellと待ち合わせ。目黒に来ると必ず寄りたくなる「こんぴら茶屋」のカレーうどんを食し、近場のタリーズでお茶をしながら他愛のない話や、他愛なくない話。何でも知ってくれているから話せないことがないし、飾る必要がないから本当に楽。有難い存在。

tellも執筆中の戯曲の大筋を掴んでいるので、新しく付け足した設定など聞いてもらいながらブレスト。でも全然時間が足りーず。時間がなかった本当の理由は、もちろん店の名前のせいではなくて、職場の人に強く薦められた映画を品川まで見に行ったから。レビューの評価が非常に高く、何より書いている作品のテーマと相通ずるところがありそうで、何かしらのヒントを得られそうな予感がしたのだ。
okuribito.jpg
モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞した滝田洋二郎監督の『おくりびと』。北国の澄んだ空の下、月山を望む庄内に響き渡る美しいチェロの音色。夢破れて帰郷した主人公が、ひょんなことから納棺士として第二の人生を歩み始める。脚本も演出も役者も全て素晴らしいが、まず設定の勝利。確固たる死生観を持たなくても、死者を送った経験のある人ならまず泣いてしまう。

祖父母の葬儀で納棺士と会うことはなかったが、もっと早くにこの映画と出逢っていればと思わずにはいられなかった。無宗教、というより宗教自体にあまり関心を持たない多くの日本人にとって、「死」は虚無を連想させ、最も忌み嫌う恐怖の対象なはず。だからこそ「死」即ち「穢れ」と直結して考える。でも、実はそうじゃない。「死は新たな旅立ちへの門なのだ」と、この映画は教えてくれる。死を想うことは、即ち生を思うこと。死を描くことは、生を描くことなのだと教えてくれた、まさに今見るべき映画でした。「静謐な温もり」という言葉がぴたりとくる、是非とも劇場で見てほしい秀作。
ガジュマルの木
gajyu.jpg
お気に入りの花屋「Plejour」でガジュマルの木を買った。

ある人曰く、

「生活から芸術は生まれる」

のだそうだ。決してお金などではなく。挨拶をし、坦々と家事をこなし、時間や約束はきちんと守り、相手のことを思いやる気持ちを大切に。いくらお金があったって、人間の営みの基本さえなっていない人間が芸術家などになれるものか、ということらしい。芸術家になりたいわけじゃないけど、でもそれって大事なことだなと思うのだ。

ということで、久しぶりに植物を買った。上記の言葉は「植物もまともに育てられない人間に、いい作品が描けるはずがない」ということに繋がると思ったから。

先日、数日間海外に行く人から植物を2鉢預かった。日照時間の確保と水遣りは怠らなかったものの、でもそれはただ仕事として請け負ったに過ぎなかったのだなと猛省。一鉢一鉢と向き合っていれば、どれくらいの水を欲しているかは分かったはずだし、いくら急いでいたとはいえ、不注意から大事な葉を落とすような不手際は起こさなかったはず。

当たり前だけど、植物はものを言わない。悲しくて泣くこともなければ、怒りに震えることもなく、寂しさに萎れることはあっても、苦しみにもがくことはない。たくさんの水や肥料を与えたところで、みるみるうちに丈が伸びるわけではなく、言葉を尽くし、熱い眼差しでじっと見つめたところで、即座にぱっと花が咲くわけでもない。植物はただそこに、じっといるだけ。すぐに答えは出ないのだ。

でも確実に、気持ちは伝わっている。言葉にすればより伝わるということも実証済みだ。すぐに分かりやすい反応を示してくれない相手に対して、愛情を注ぎ続けるのは根気のいること。でも、それが大事なんだ。いきなり父のように庭一面に満開の花を咲かせることはできないけど、まずはこのガジュマルの木一鉢と、真摯に向き合ってみよう。

ガジュマルは、幸福をもたらす精霊「キジムナー」が宿ると言われる木。店頭に並んだいくつかの鉢の中から、幹から生えた気根の形が面白いものを選んだ。宮崎駿の『天空の城ラピュタ』ぽいやつ。大木になったガジュマルの気根の間を二人で潜ると幸せになるという噂も。大事に育てられたら、いつか幸せを運んできてくれるだろうか。
自軍ベンチからの野次にも負けず
ballonsand.jpg
早朝から起きて用事を済ませ、中野を経由して青梅街道から靖国通りを車で東進。荒川沿いのグラウンドで、一応所属にしてもらっている野球チーム「ジャンキッス」の試合に参加。昨年の誕生日に、監督を務める親友からユニフォームまでプレゼントしてもらったのに、試着以外で袖を通したのは今日が初めて。ん?昨年の誕生日?ブランクは1年くらいかと思っていたが、ブログで確認したら前回参加したのは2006年の8月。あまりの不義理に吃驚。

相手は自軍同様、麻雀仲間で構成された「コンドルス」。ウォーミングアップの時間もなく、練習もそこそこに試合開始。ゲームは、チーム力も個々人の能力も若干上回る相手チームに善戦。結果的には敗戦だったが、個人的には4点差をひっくり返すビッグイニングで、逆転打となるタイムリーヒットも打てたし、守備的に大きなエラーもなかったし、久々にしては上々の出来。と、言っておこう。でももう少し上手く守れて、ボールがバットに当たれば、もっと楽しいだろうな。

最近はジムにも通っているし、野球なんてラグビーに比べれば楽勝。まさか筋肉痛なんて、と高を括っていたのだが。帰宅する頃には全身から悲鳴が。普段使わない筋肉を、想像以上に酷使した模様。もっと走りこまないと。年齢が直接的な原因ではない、決して。
ジョン・エヴァレット・ミレイ展
開催が決まった1年以上前からずっと楽しみにしていた「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」をBunkamuraの「ザ・ミュージアム」で。彼の代表作『オフィーリア』をどうしてもナマで観てみたかった。英国「テート・ギャラリー」まで行こうかと本気で思っていたくらい。
「オフィーリア」はもちろんのこと、ミレイの描く女性はドラマチックで美しい。どの女性にも眼に強い意志が宿っていて、その意識下に吸い込まれそうになる。「オフィーリア」、感動だったなぁ。立ち尽くして、しばらくその絵の前から動けなかったもの。水辺に浮かぶ若すぎる女性の死が、これほどまでに美しいとは。同作品が戯曲『ハムレット』の悲劇のヒロインであることは非常に有名だが、同じくシェイクスピアの『尺には尺を』から想を得て、テニスンが読んだ詩を基に生まれた「マリアナ」も素晴らしかった。絵の中の女性に鼓動が高鳴るほどの感情を抱いたのは初めて。
名声を得た後の、商業的に描いた肖像画は別にして、彼の描く劇的な作品はどれも生命力に満ちており、今にも動き出しそうだし、喋り出しそうで、何かしらを訴えかけてくる。語りかけてくるそのメッセージを必死に汲み取ろうとして、受信モードをマックスで鑑賞したものだから、美術館を出るときにはもうぐったり。でも開催中にもう一度行けるといいな。奈良で買ったシャガールの『誕生日』の支払いがようやく終わったところなのに、『オフィーリア』と『マリアナ』の複製画がとっても欲しくなった。2枚で12万6千円也。
時の流れ
昨夜は友人に付き合ってもらって、遅くまでファミレスでブレスト。先日降ってきた設定に肉付けしたものを提示した上で、行き詰っているクライマックス序盤についてあーだこーだ。重要なシーンだけに、踏み出す一歩が慎重になって、なかなか前進できない。そこに行き着くには、前のシーンに生まれた歪みを解消する必要もあって、結局その打開策を練るだけでタイムアップ。前に進むどころか、背後に空いた穴を埋めに戻るというもどかしさ。でも大事な作業。

今夜は、以前通っていた日舞の門下生4人で久しぶりの会合。バイト先で知り合った友人が養成所と日舞の後輩になり、彼がその養成所の同期を一人日舞に誘って、その人がさらに劇団の同期に声をかけて同じ稽古場に通うようになった。元々役者志望だった4人だが、その中で日舞を続けているのは2人。役者を続けているのも2人(そのうち1人は続けているうちに入るのかどうか…)。両立している人もいれば、どちらからも足を洗った人もいる。出会ってからもう10年にもなるのだから、全然不思議なことじゃない。でも一番長く続く共通のトピックが、現状で収入を得ている仕事の話で、お芝居の話などほとんど話題も上らず。地に足をつけて現実を生き始めたということなのだろうが、やっぱり寂しいなと思ったのでした。
崖の上のポニョ
宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』をレイトショーで。トレーラーと評判から今回はレンタルでいいかなと思っていたのだが、監督の密着番組をテレビで見たり、tellのブログを読んだりするうち、やはり劇場で見たいと思うようになった。

素晴らしい映画だった。ナウシカやラピュタのファンが期待する内容ではないかもしれないけど、製作意図もターゲットも違うわけで、比較して云々言う必要性を感じない。確かに論理的に突き詰めれば納得のいかないところもなくはない。でもそんな大人の理屈なんて取っ払って見るべき映画なんだと思う。デティールやリアリティに拘っていちいちツッコミを入れるのが好きな人には向かない映画。

「どんな時代であれ、5歳の少年から見た世界は美しく生きるに値する」そういう世界を描けていると思うし、同時に警鐘を打ち鳴らしてもいる。手描きの映像は美しいだけじゃなくあたたかくて、悪意の人物は一人も出てこない。余計なことなど一切考えないで童心に返り、あの頃の純粋な気持ちを思い出す。それだけでいいんじゃないかと思った。心躍るようなシーンや胸がきゅんとするようなシーンはいくつもあった。船上のお父さんとモールス信号で交信するシーンとか好きだなぁ。

魚のポニョ、半魚人のポニョ、そして人間のポニョ。どんなポニョも変わらず好きでいられる。それって簡単なことのようで難しいこと。会話さえまともに通じないけど、常に自分の支配下。見てくれは気持ち悪いけど、不思議な魔法を使える。わがままで面倒臭いけど、好みのタイプ。いつからか常に自分の基準で比較して、相手を見定めるようになる。しんどくなったり、自分にとってメリットがなくなったらすぐにポイ。見てくれもよくてお金持ちで優しくて、そんな相手を好きでいるのは簡単なことだよな。

最近のアニメは歌手や俳優を起用してて、それに対して賛否両論あるのは全然構わないが、プロの声優を使わないことに過剰反応する輩が多すぎる気がする。個人的には、この作品のキャスティングは決して悪くないと思う。山口智子なんてハマり役だったと思うし。ろくに作品の評価もしないで、そればかり声高に異論を唱えている人たちって、仕事が回ってこない売れない声優、もしくはその卵なんじゃないかと疑いたくなってしまう。
フランス語にする意味も分からんし
久しぶりに取った週末二連休。特にこれといった予定もなくのんびり。翌日のことを気にせず眠くなるまで執筆できるのがいい。

今日は夕方から観劇のため「彩の国さいたま芸術劇場」へ。日中は布団が干せるほどの好天だったのに、外出時には雲行きが怪しくなって、ホームに着いた途端に雨が降りだした。傘、持って来なかったのに。車窓には大粒の雨が流れ、上空には稲光が走る。東へ北へと雨雲から逃げるように電車を乗り継いで、与野本町の駅に着いたときには雨が降り出す直前。走るように歩いて、劇場に到着と同時にポツリ、ポツリ。その雨も観劇中にやんで、結局今日も傘いらず。

晴れ男っぷりを自慢するより、肝心の芝居はどうだったか。

「彩の国さいたま芸術劇場」は、5月に「KUROYURI project」の公演『helena』が行われた小屋。土日の3ステ全公演を鑑賞し、その度に震えるほどの感動を覚えた。都内での再演が本当に待ち遠しい。あれからもうすぐ4ヶ月かぁ。そのときまで劇場の存在すら知らなかったのに、まさか数ヶ月で再び与野本町に足を運ぶことになろうとは。

あ、劇場を懐かしんでないで、肝心の芝居はどうだったか、か…。

「東京パフォーマーズ倶楽部」の第一回プロデュース公演『ヴァンサンカン』。チラシにはどこにも発表会とは書かれていない。実際3300円もの席料を取っている。発表会なら発表会で、一般ウケする既製の脚本を使い、少しは名の通った演出家がつくものだろうし、そもそも発表会で木戸銭を取るべきではないというのが持論。…的なところから書き始めてはみたけれど、もう何がヒドいって、全てがヒド過ぎ。幼稚な脚本、あり得ない演出、競うようにカミまくる演者たち。こういうものを見せられると、笑うどころか、怒りを通り越してヘコんでしまう。どうしてこういうものを平気で上演してしまうのだろう。
何度でも
5度目の劇場通い。先日の電話でテンションは一気に下降しかけたが、その翌日にもらった深夜の電話の優しい声に救い上げられ、なんとか立て直して事務所の扉を叩く。
アポイントは取って出向いたものの、開演前の忙しい時間で、話し合いは何度も中断。その度に掌の四葉を握りしめる。
一時間以上も前進も後退もないもどかしい状況が続き、それでも根気よく熱意を伝える。努めて爽やかに。
結局最終決断は今月半ば以降に持ち越し。期待できるような状況ではないけれど、望みが全く持てないようでもなく。
期待はしない。かといって希望も捨てない。そしてどう転んでもちゃんとまた歩き出せるように、やるべきことをやる。
男飲み
oyster.jpg
直接知り合ったわけじゃなく、間に二人ほど入っているのに、見事なスクエアを描いて友人になったT。梅が丘で待ち合わせ、彼が以前お世話になった料理人のお店「PAPER MOON」で男飲み。運命的な縁がもたらした不思議な出会い。スクエアの関係を除けば何の共通項もない相手だから、二人だけで会うことに少々の不安もあったが、第一印象で抱いた好意的な印象は、実際話せば話すほど揺るぎない確信に変わり、結構つっこんだ話までできて嬉しかった。年内には飯田橋に自分の店をオープンさせるということで、今度はカウンター越しでいろいろ話せるようになるのも非常に楽しみ。
夜の原宿で
芝居の感想よりも、予約していたのに当日の列に並ばされたことに憤慨した日記を先日書いたが、当日夜に電話をくれた後も非常に恐縮したメールをくれ、お詫びがてら会いましょうということになって、役者Xと原宿で今夜。

夜の原宿は入る店に困る。ココって店が少ないし、その店は大概混んでいる。でも今夜はタイミングも良く、夜の原宿王道コース、「原宿餃子楼」→「duidui」→「montoak」を制覇。

原因は制作との連携、個人的な認識の甘さ以外に、あり得ないミスが招いた不祥事。裏の事情も理解できるし、当然悪意をもってしたことでもない。大事な友人だと思うからこそ許せるのだけど、ほんの一手間、たった一言で、状況は変わらずとも、感じ方は全然違ったはず。自戒せねば。

芝居の感想やお互いの近況など、喉が痛くなるほど話し込んで、気がつけばあっという間に終電タイム。上京した翌年に某劇団の養成所同期として出会い、長年近い立場にいて、選んだ道は違っても、たまには並んで走れるほどに近い道で、目指す方向は一緒。だからこそ話せることがたくさんあって。そんなかけがえのない絆を、大切にしなきゃなと思った夜でした。

代々木上原で地下鉄から小田急の急行に乗り換えるとき、成城学園前で各駅停車に乗り換えるとき、そして某駅での停車中。昔から稀に起こる、胸騒ぎのする不思議な予感。そんなときの予感は「ほぼ」的中する。呼んでいるのか、呼ばれているのか。でも本当は、「ほぼ」なんかじゃないんだろうな。「絶対」なんだと思う。で、そういうときの必然的な偶然には、絶対的に意味があるんだ。
言えない秘密
たった一人の、ほんの一言で、人は宙にも舞い上がるほどの幸福感を得たり、不幸のどん底に突き落とされたりもする。その言葉を発する相手は、受け取る側にとって重要な存在であり、例えば恋人であったり、子供であったり、上司であったり、自分の人生に大きく関与している。でもそれが相互関係である必要はなく、一方的な片思いでも、親権を持たなくても、名前さえ覚えられていなくても、自分にとって絶大な影響力を持った相手なら、その人の言葉には魔法がかかる。祝福か、激励か、はたまた呪いをもたらすものか。発信者が無意識だったり無遠慮だったり、何の罪悪感もなく言ったその一言で、受信者は自分でも信じられないほどの奇跡的な力を発揮したり、それこそ死の淵に立たされることだって往々にしてある。
そんなことを考えながら、極度の緊張を必死に抑えつつ、頃合を見計らって某所に連絡。結果は、なんとも微妙な…。取りようで是とも非とも取れるような、でもどちらかといえば後者なんじゃないかと思われるような対応。結局後日再度打ち合わせをということになったが、楽観視は禁物。
心無い相手の言葉も、不条理な遣り口で追い込まれた窮地も、要は自分の受け取り方次第などと、できた人は言うけれど、それが容易くできるくらいなら、自殺する人はそんないないでしょ。作家でなくてもさ。
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気持ちを切り替えるために映画でも観ようと思い、レビューで評価の高かったジェイ・チョウの初監督作品『言えない秘密』を新宿武蔵野館で。美しいピアノの調べに乗せたピュアなラブストーリー。と言えばまぁ在り来りだが、前半はまさにそんな感じで物語は進む。鍵を握るヒロインの「秘密」が明らかにされる瞬間、全てを台無しにしてしまうようなまさかの展開。が、そこから結末に向けて、多少矛盾が残る粗さもありながらも、見事に観客を裏切ってくれる。★5つばかりのレビューの評価は、誰かも指摘しているように作為的に仕組まれた感が露骨に見受けられ、正しい点数とは思えないが、でも実際涙腺は緩んだし、劇場を出るときの爽快感もあって、人に薦めたい映画であることは確か。スタントなしで完璧に弾きこなすジェイのピアノバトルのシーンは圧巻。因みにジェイはこの作品、監督だけでなく主演、脚本、音楽まで務めている。
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Author:ryuu
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